2012年1月15日

facebook 実名登録制SNSのその先にあったものは

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facebookを腰入れて使ってみた

正確にはプロフィールを編集してやれることを確認してみただけなのですが…。

スマートフォンを手にした頃、端末に同梱されていたfacebookのアプリを見てその存在を知りました。
当時はtwitterの途上時だっと思いますが、周りの人間が多く参加していたtwitterの方へ注目してしまい、facebookはアカウントだけとってそのまま放置していました。

こういう人多いのではないでしょうか?w

それから何度かアプリを立ち上げて見ては「なにしていいのかわかんね(‘A`)」

そっとアプリを閉じる。

またしばらくして立ち上げる

わかんね(‘A`)

アプリ削除

それから概ね1年以上が過ぎた今、webの勉強をしているうちに「facebookファンページを作る」なんて記事を読んだり、聞かされたり。

Creator魂の火種がようやくついた自分としてはこういう話になると、とりあえず腰が上がるわけです。

その前にfacebookをみんながどのように利用しているのかちゃんと知りたい。と、思いたちあれこれと触ってみた感想なのです。

小学校の友達を発見。だがしかし!?

ホントは上記のような勉強的発想で腰を上げたのに、いざ触りだすと「やはり実名登録なのだから友達を探してみよう」ということになったのです。

「あいつならパソコンとかよく触ってたし、やってるかな」と思った人物を検索しますが、案外ヒットしません。

今現在リアルに交友関係が続いている友人は、ひとまず全員やってないのがわかっています。

となると既に連絡も途絶えた昔の友人・知人に矛先が向くわけです。

そして数名ヒットしました。それも小中学生時代の友人。

もう何十年も会ってない友人は面影をのこしつつ、いいおっさんになってプロフィール写真なんか載せちゃってます。
「facebookすごい」と思ったのもつかの間、一瞬にしてその感情から虚無感へと突き落とされる事になりました。

自分は30代後半なのですが、小学校の頃なんかは近所の上級生のお兄さんなんかともよく遊ぶわけで、そんな人はもう40代。

プロフィールを読み進めると立派になっていました。

みんなプロフィールには「見せていい情報」しか載せません。

そしてそれはある種「ステータス」としての情報も含まれるわけでマイナスイメージになることは載せない傾向が強いと思います。

ある友人は事業を起こし代表になり、ある友人はそこそこの社会的地位を手に入れていました。

彼らとの思い出に黒いものは全くなく、無邪気な時期を過ごしたものでした。

すごく懐かしい想いだったのに、なんだか今の自分が恥ずかしくて見なきゃよかったと…。

もちろん、そのプロセスは多難だったに違いありません。
努力して、結果そうなったのでしょう。

ただ、自分も努力せず今の自分がいるわけではありません。

そう思うと何とも言えない虚無感に襲われてしまいました。

当然の事ですが自分も実名で登録しています。
写真を載せていないので同姓同名が多数いれば自分を特定するのはまだ情報が足りないでしょう。

つまり相手からは「今は」特定されないわけです。

これから情報を増やしていった後、「検索されることがあれば」特定されるでしょう。

そんな事を考えながら気がつけばWindowを閉じていました。

今は訳あって彼らに胸を張って再会する気になれません。
早く状況を打破し、おっさんになった自分を彼らに再会させたいと思いました。

当たり前ですがインターネットの向こうにいるのは紛れも無い「人」なのです。
今回は複雑な想いながら、実感した出来事でした。

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  • Michihiromurata より:

    すいません、記事には関係ないのですが、Paul Gilbertがかっこよすぎる。。。

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